沿革
神奈川県横浜市神奈川区にある、学校法人神奈川学園精華小学校は、大正11年(1922年)に、佐藤善治郎先生によって創立されました。
1学年は男女あわせて80名で、全校児童は480名です。松組と桜組という2つの学級があり、1クラス40名です。
「松」と「桜」と2つのクラスはあるものの、担任の2人で2クラスをうけもつ学年担任制を設け、多くの目できめ細やかな指導を行っています。
横浜駅から徒歩13分の高台に位置し、横浜市をはじめ、神奈川県内、東京都、千葉県に住む子どもたちが通っています。
1914年 (大正3年) |
私立横浜実科女学校(神奈川学園の前身)創立 |
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1922年 (大正11年) |
精華小学校創立 1~3年生計11名が入学 初代校長 佐藤善治郎 |
1925年 (大正14年) |
精華小学校全校舎が落成 6学年児童計87名 |
1926年 (大正15年) |
精華小学校第1回卒業式 第1回卒業式 1月神奈川高等女学校内 |
1927年 (昭和2年) |
大松会発足 |
1929年 (昭和4年) |
中高生とともに夏の村(自然教室)開始 青少年赤十字団(JRC)結団式 |
1930年 (昭和5年) |
がんばり遠足開始 |
1936年 (昭和11年) |
1936年ベルリンオリンピック |
1938年 (昭和13年) |
岸田与一 第2代校長就任 岸田先生のお話 |
1941年 (昭和16年) |
戦争に伴い、精華初等学校と校名変更 後に、精華学校となる |
1944年 (昭和19年) |
足柄下郡豊川村(当時)へ学童疎開(8月20日) |
1945年 (昭和20年) |
横浜大空襲により校舎全焼(5月29日) 慈雲寺での授業 |
1946年 (昭和21年) |
慈雲寺にて、第21回生卒業式挙行 |
1947年 (昭和22年) |
校名が精華小学校に戻る 校舎復興祝賀式(創立記念日とする)(5月17日) 慈雲寺に別れを告げ、平屋3教室ベニヤ壁の新校舎へ移る |
1949年 (昭和24年) |
保護者後援会名称を「父母と教師の会」とする |
1956年 (昭和31年) |
校旗・校歌 作成 校旗完成 |
1957年 (昭和32年) |
創立者 佐藤善治郎 逝去(1月23日) |
1959年 (昭和34年) |
西グラウンド落成 |
1961年 (昭和36年) |
鉄筋3階建ての校舎完成「松組」「桜組」の1学年2学級制(80名定員) 専科制 2人の担任で2学級を担当する プール完成 |
1969年 (昭和44年) |
岸田与一 退任 名誉校長就任 佐藤実 第3代校長就任 |
1972年 (昭和47年) |
精華小学校創立50周年 小講堂落成 連絡表「精華」完成 創立50周年 小講堂増築 |
1973年 (昭和48年) |
岸田与一 逝去 遺訓「やさしくあれ、強くあれ」(12月20日) |
1974年 (昭和49年) |
神奈川学園創立60周年 現体育館落成 岸田杯作成 |
1978年 (昭和53年) |
西グラウンド3周運動開始 |
1980年 (昭和55年) |
お話を聞く会始まる |
1983年 (昭和58年) |
精華の子の「100冊の本運動」開始 教職員 |
1985年 (昭和60年) |
精華小学校2号館(現図工室兼会議室棟)落成 2号館落成 |
1986年 (昭和61年) |
精華の子 100冊の本 西グラウンド3周運動 |
1990年 (平成2年) |
生活科開始 |
1992年 (平成4年) |
佐々木道彦 第6代校長就任 |
1993年 (平成5年) |
大松会会長・第1回卒業生 髙島保男氏 大松会名誉会長就任 |
2001年 (平成13年) |
校庭を人工芝に改修 |
2002年 (平成14年) |
精華小学校創立80周年 総合的学習導入 学校5日制・2期制導入 |
2005年 (平成17年) |
現校舎建設工事 防空壕出現 |
2006年 (平成18年) |
佐藤恒広 第7代校長就任 現校舎落成 |
2010年 (平成22年) |
小川正 第8代校長就任 |
2011年 (平成23年) |
西グラウンド改修 記念樹を祝樹し、記念碑を建てる 新体操着 |
2012年 (平成24年) |
創立90周年(5月17日) |
2014年 (平成26年) |
プール完成 |
2017年 (平成29年) |
神奈川学園百周年記念ホール竣工 |
2018年 (平成30年) |
大野達夫 第10代校長就任 |
2022年 (令和4年) |
創立100周年(5月17日) |
2023年 (令和5年) |
臼井公明 第11代校長就任 |